2008年7月4日金曜日

ググってコピペして単位ゲットだぜな大学の授業

http://satoshi.blogs.com/life/2008/06/post-2.html

もうネットのおかげで図書館に行って本を読んで
レポートを提出する時代は終わりました。

とりあえずググる(googleで検索)

Hitしたものを片っ端からワードに移して(写してなヒトもいる)
それを自分の言葉でまとめる(これすらやらないヒトもいますが・・・)

提出→単位ゲット


もちろん、これってバレない訳が無くて
私が取りまとめを担当した千葉大の某基礎系の授業では
発覚した人間は全員単位が出ていません。
何人か抗議に事務に行き、さらには質問書を提出までしてきましたが
コピペは駄目って回答しておきました。もちろん言葉は丁寧ですが、内容はそういうこと。

ちなみに私のような院生レベルでも、読めばすぐ分かるので
教授となればなおさら分かるでしょう。

しかしながら、ほとんどの大学では単位が出ているのが現状な気がする。
それは、知りつつ単位を出している場合と、提出=出席=点数→単位となっている場合の2種
どっちも問題だけど、これは大学側の問題で、今回の話とはずれるのでここまで。

別にgoogleを使うなとも、コピペするなとも言いません。便利なものは利用すべき。
私も論文を書くときには、どちらも利用します。

が利用するだけで、それを自分の結果にすり替えたりはしない。
自分の問いがあって答えを探すのと、ただレポートの答えを探すために使うのは
全く違った行為です。
例えネットの引用を使ったとしても、それが知識として利用されていれば
それは立派なレポートや答案です。

そこに当人達の関心や疑問さえ生まれていれば良いのです。
まぁ確信犯でやれというのもあるけど、ちょっと記事を読んで補足したくなったので
書いてみました。

にしても、書いていると生徒よりも大学の状態を批判したくなってしまうなぁ。
今抱えている様々な問題は、学生にも大学にもどっちにも問題があって…

…とまた始まりそうなので、学生に対して助言みたいなものを…
まあ、このblogを学生は読んでいない気がしますけど。

とにかく、これだけ情報を得るのが簡単な世界では
情報を得ること自体には、何の価値も見いだせません。
つまり、労働にすら値しないということです。

その情報を発信するのすら、その量と刷新の早さで
価値が薄れているというのに、コピペで提出とかアホかというわけです。

だから本を読んで…などと時代錯誤なことを言う気もありませんが
ではどうすればいいのかというと、まず自分なりの興味や問いをまず持つことです。
(これはトラバ先でも言っていますが、本当にこの部分があれば必要十分)

じゃあ無かったらどうするか。

発送を逆転しましょう。

情報を集めた上で、疑問や問いを発すれば良いのです。

どう考えても、ある一つのテーマに対して一つの答えだけがネット上にあるわけはなくて
様々な答えを、それぞれが正しさを信じて言っているのです。
それを比較してもいいし、自分の意見を新たに出してもいい。

出発点を、到達点に変換。一つの重要な論理ツールですので使えるようにして下さい。
しかし、この論理ツールはきちんと意識して使わないと、
本末転倒ということになったり、目的を見失うことがあります。
気をつけましょう。

とにかく、情報から何を創造(想像)するか。
単位なんて無意味なものより、素晴らしいレポートを書く方が大事なんです。

そういったことくらい大学の教員は授業の最初に言うべき。
自分の価値観すら提示しないで、だらだら授業してもしょうがないでしょうに…
と批判が始まりそうなので終わります。

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