地下鉄タガンスカヤ駅を降りて、結構歩いた場所に去年できた
セルゲイ・ジェノバッチの劇場
今最もモスクワで注目を集めている劇場といって良いでしょう。
ジェノバッチがギッチス(演劇大学)で教えていた教え子達と共に作った
できたてほやほやの劇場です。
これまでもジェノバッチと教え子達は、様々な劇場を間借りして公演をしていたのですが
ついに自分たちの劇場を完成させ、自由に公演することが出来るようになりました。
そして、新しい劇場が管制してから、初めての新作となったのが
ディケンズのビットヴァー・ジーズニ(『人生の戦い』)
チケットの入手があまりに困難で、幻とまで呼ばれていました。
まぁ、シーズン外の9月に見たらあっさりチケットが取れたりしたんですが。
今日はこの舞台について、報告していなかったことを思い出し
今更ですが書いてみたいと思います。
公演が始まると、役者達は青リンゴを持って登場します。
この青リンゴは劇場に置かれていて、自由に食べることができます。
私も一個頂きました。とても甘くて美味しいリンゴでした。
このリンゴがいったい何を意味しているのか、
内容をもっと知っていれば分かったのかもしれませんが
残念ながら私には分かりませんでした。
その代わり私を惹きつけたのは、リンゴと共にかれらが持っているもの。
そう、役者達は台本を持って舞台上に現れるのです。
(もちろん、何も書かれていないのだとは思いますが)
こうしたことにより、役者は読むという演技を舞台上で行うことになります。
そして、そこに役者としての演技が混じる。
ほとんどの役者は座っているため、その動きは台詞によってしか伝わらない。
また、役者は役そのものとは完全に同化しないため、途中で一人の役者が死ぬ場面も
本を閉じて舞台上から退出していく。
とても面白い試みだなと、素直に思った舞台でした。
中途半端な実験演劇とは、比べものにならない
演劇についての持つ、演劇性を考えさせてくれた舞台です。
一つだけ気になったのが、彼らの持っている台本に台詞の書いてある部分があるのか
という点
もし、その部分を役者が読む場合、それは読む演技なのか
読む行為なのか
読まれたものは、今そこで読まれたものなのか
かつて読まれたものなのか
頭の中にあるものなのか
紙の上にあるものなのか
台本と役者と演劇と台詞
そうしたもの一つ一つの演劇的要素が
ジェノバッチの魔術によって舞台化された、ある種恐ろしい舞台でした。
そんな彼が、この年にチェーホフの『三年』を舞台化します。
その上演前に帰るのが本当に悔しい。
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