2009年2月7日土曜日

かもめのうまれたばしょ




留学最後の日にはチェーホフが『かもめ』などを誕生させた土地
メリホヴォに行ってきました。

1月29日はチェーホフの誕生日でもあり、
モスクワを離れる最後の場所としてはうってつけの場所だったかもしれません。

夏にも一度訪れたのですが、冬には一面の銀世界で
また違った趣がありました。

写真はチェーホフが『かもめ』を書いたとされる
離れの小屋です(戦争でメリホヴォは全ての建築物が燃えたためレプリカ)。

彼の住むこのメリホヴォには、毎日のように友人が遊びに来ており
チェーホフはまるで仕事にならず、離れに執筆専用の小屋を造って
そこで戯曲の制作をしたという話が伝わっています。

また、ここにはチェーホフが診療をしていた小屋が
今でも医師のいる休憩所としても機能しています。

メリホヴォに来れば分かるのですが、本当にロシアの田舎には
何にもありません。木と平原だけです。
かもめのソーリンがしきりに街に行くことを望んだり
三人姉妹ではモスクワへという言葉があるように
田舎と都会の差はロシアでは日本よりもさらに顕著です。
この感覚はこちらに来てから新たに知ることが出来た感覚でした。

それにしても、この博物館には多くのおばちゃん
(お年を召された女性達)が働いているのですが
朝から晩まで、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと
喋りっぱなしです。

5、6人で井戸端会議をするのは万国共通なのかもしれませんが
ロシアのおばちゃんたちの会話を良く聞いてみると
誰一人として相手の話を聞いていません。

自分の言いたいことだけを、ただ喋っています。
それを聞いているだけで可笑しくてたまらなくて
しばらくはチェーホフが本を読んだという部屋から
彼女たちの話を聞いていました。

よく、チェーホフの戯曲にはコミュニケーションの断絶が見られるとか
そういった論をみかけますが、
もしかしたらチェーホフは、自分の領地に遊びに来る人たちが、
こんな風に自分の言いたいことだけを言い合う現場を見て、
笑いをこらえながら頷いていたのかもしれません。

おばさま達の色々と話を聞いていて、
それぞれが話している今日の気温がまるで全員一致していなかったり
昨日あったことをただ思い思いに話しているのを聞いていたのですが
一番面白かったのが、名前の話でした。

一人がどうやら違う人に言づてを頼まれていたのですが、それがナターリア(ナターシャ)
という女性からのものだったのです。
しかし、相手はどのナターリアかと尋ねました。
ロシア人の名前は、多くの人が同じ名前なので、父称という父親で判断するか名字で判断します。
しかし、どうやら父称が同じ人も何人かいるらしく、結局誰のことだか分からなくなってしまいました。
すると、周りにいた人が思い思いのナターリアを言い合い始めて
誰なのかを判断しようとし始めました。
ところが、名前を言うだけなら良いのですが、その名前を言うと同時に
その女性(別のナターリア)についての思い出やら、愚痴やらを勝手に話し始めたのです。

無茶苦茶です。

しかも、そのまま思い思いのナターリアの話は続き、
勝手に自分の出したナターリアに怒っている人もいれば、笑っている人もいるという
端から見ている人にとっては、何とも言えない状況でした。

そして、私は聞くのです。
最後におばちゃんが一言。
Все равно!

三人姉妹でチェブトイキンが最後に言う台詞を

メリホヴォの喜劇

最後の日にチェーホフがくれた一幕の喜劇を堪能して
私の留学生活も幕を下ろしました。

これからは日本で喜劇が書けるように頑張っていきたいと思います。

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