1927年11月17日 革命十周年で招待された小山内薫がソ連へ。
1927年12月6日 小山内が歌舞伎について解説を行う。この際ラビス局長に歌舞伎公演を提案したと思われる。
1927年12月8日 スターリンやルナチャルスキーらがソ連での歌舞伎公演について好意的な姿勢を示す。
1928年1月23日 全ソ対外文化連絡協会(VOKS)で1年の活動について会合。歌舞伎についても議題に上がる。
1928年1月27日 読売・朝日新聞に左団次のソ連公演についての記事が掲載される。
1928年1月28日 VOKSが歌舞伎の招待の可能性について政府に問い合わせる。
1928年3月4日 ソヴィエト大使館に小山内薫と市川羽左衛門が招待される。
1928年3月7日 VOKSの代表カーメネワが政府に対し歌舞伎公演の意義についての手紙を送る。
1928年3月20日 トロヤノフスキーがVOKSに交渉の動向を報告。中止のリスクが大きいことを伝える。
1928年3月28日 カーメネワから政府が公演に関心を持ち、近いうちに交渉への返答が得られることを伝達。
1928年3月29日 VOKSとNKIDでは歌舞伎公演にかかる費用が政治的・文化的な成果に見合わないと確認。
1928年4月9日 ソヴィエト大使館に小山内薫、市川左団次らが招待され、ソ連公演に関する交渉が行われる。
1928年4月23日 トロヤノフスキーに対してソ連政府から契約にサインをしないよう電報が送られる。
1928年4月28日 マイスキーからカーメネワに交渉の詳細が伝えられる。出演料30000円など。
1928年5月24日 VOKSからNKIDへ資金の要請。出演料30000円、諸経費6~70000円。
1928年5月25日 トロヤノフスキーが公演の契約が完了したことをソ連政府に電報で知らせる。
1928年5月28日 マイスキーがカーメネワやチチェーリンなどに状況を知らせる。
1928年6月1日 トロヤノフスキーが大使館の改築費用であった70000円を歌舞伎公演に当てることを決定。
1928年6月13日 スパルヴィンがカーメネワに松竹との契約がまとまったという報道記事を送付。
1928年6月15日 歌舞伎公演に関する問題の解決についてソ連政府内で会議が行われる。
1928年6月16日 コンラードに歌舞伎公演で何を上演するのが良いか尋ねる電報。至急モスクワ来訪を求む。
1928年6月17日 VOKSレニングラード支部から手書きの忠臣蔵の解説を送付(コンラード作成と思われる)。
1928年6月19日 浅利がモスクワに到着、VOKSではコンラードに再びモスクワに来るよう要請。
1928年6月20日 浅利がモスクワ第二芸術座のサイズを電報で送る(40フィート、B30、C42、D35)。
1928年6月24日 マイスキーがカーメネワに左団次たちは地方都市での公演はできないと断ったことを知らせる。
1928年6月26日 歌舞伎公演のための荷物の輸送が始まり、この日以降、荷物に関する電報が日ソ間で行きかう。
1928年6月27日 コンラードに歌舞伎に関するブックレット作成の依頼。VOKSではイズベスチヤやベーチェルニャヤモスクワなど各誌に論文の掲載依頼が行われる。
1928年6月28日 ウラジオストクの運輸局からVOKSへ歌舞伎の荷物が到着したことを知らせる電報。
1928年6月30日 VOKSからNKIDへ左団次らが乗る列車の席(柔らかい席)を抑えるよう頼む電報。
1928年7月4日 歌舞伎のブックレット作成の許可がおり、アルキンとプレトネルに論文の執筆依頼。
1928年7月10日 映画広告会社に対し公演の広告ポスターを75メートル分作成するようVOKSが依頼。
1928年7月13日 VOKSが映画館で歌舞伎公演の広告を流せるよう許可を求める。
1928年7月14日 左団次らが敦賀からウラジオストクに出発。
1928年7月17日 左団次の荷物類、計19箱がモスクワに到着。合計約2トン。
1928年7月26日 左団次らがモスクワのヤロスラヴリ駅に到着する。
1928年7月28日 VOKS主催で歓迎会がメイエルホリド劇場で開催される。VOKSから褐色、黒、緑の布を紡績部に注文要請。定式幕の作成に使われたと思われる。
1928年8月1日 モスクワで歌舞伎の公演開幕。『忠臣蔵』がモスクワ第二芸術座で上演される。
1928年10月13日 歌舞伎貼り込み帳がVOKSからマイスキーに送られ、左団次に贈呈される。
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