12月6日、ユーゴ・ザーパド劇場監督 ワレーリイ・ベリャコーヴィチが亡くなりました。
http://www.teatral-online.ru/news/17153/
http://tvkultura.ru/article/show/article_id/160509/
66歳、急性心不全で突然の死だったようです。
http://tvkultura.ru/article/show/article_id/161005/
クリトゥーラでお別れの様子が報じられています。
死の4日前には新作『マクベス』の稽古をしていたとある通り
本当に急なことだったようです。
最近の雑誌テアトラルにも、「俺は年金受給者だがまだまだ現役」
といった見出しでインタビューを受けたり、昨今の補助金削減に関する
意見なども同紙上で発言したりしていたので、私自身も非常に衝撃を受けました。
ユーゴ・ザーパドの『夏の夜の夢』が私にとっては特別な作品で
留学中に見たこの公演で、私は演劇って良いなぁと初めて感じた思い出深い作品です。
また、ベリャコーヴィチといえば、堀江新二先生との関係を切り離しては考えられないでしょう。
私も留学中、先生にお世話になった際に、ベリャコーヴィチの自宅にお邪魔して
彼が公演の最後の出番に出かけて行くところを見ることができました。
テアトロか悲劇喜劇か、朝日新聞あたりか、分かりませんが何かしら先生が書かれると思います。
ベリャコーヴィチやユーゴ・ザーパドの俳優と共に作品を作り続けてきた東演は
http://www.t-toen.com/special/bb_fuho.htm
新作『マクベス』も上演予定だったようで、関係者の落胆の大きさは計り知れないでしょう。
1987年エジンバラ演劇祭で『ハムレット』を上演し、アメリカや日本など海外でも
好評となったユーゴ・ザーパドですが、
私が見たなかで最高傑作だと思ったのは、『巨匠とマルガリータ』でした。
ベリャコーヴィチの演出の特徴は、金属などのメタリックな舞台装置と
軽快な音楽、そして軽快なテンポ、そしてどこか彼の優しさが感じられる作品解釈による演出
でした。チェーホフがレパートリーに長い間残らないのも、底にある陽気さとマッチしなかった
というのもあったと思います。
エーフロス、エフレーモフ、アルツィバーシェフと
劇団の立て直しのために、人気から自分以外の劇場の監督を委任され
その集団との軋轢によるストレスで苦しみ、早くに亡くなった演出家が大勢います。
ベリャコーヴィチもそうだったのかもしれません。
2000年代後半からベリャコーヴィチはダローニナが監督のゴーリキー記念モスクワ芸術座
で演出家として活動し、
そして、現在はユハナーノフが監督になったスタニスラフスキー劇場の監督に就任して
劇場の立て直しを図るという仕事を任されていました。
この2つの劇場は、ソ連崩壊後から、いわゆる時代に取り残された劇場で
観客席はガラガラ、作品のレベルも低下の一途をたどる、モスクワの不採算劇場の代表でした。
特にスタニスラフスキー劇場で監督になった際には、相当数の役者の造反があり
まさに、エーフロスがタガンカ劇場の監督になった歴史を思い起こさせるものでした。
ユハナーノフが監督になってから、テクノロジーを前面に押し出す新しい劇場として
生まれ変わったスタニスラフスキー劇場ですが、ベリャコーヴィチの奮闘がその前に
あったことは間違いないと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
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