2017年4月27日木曜日

俳優の仕事 第2章:舞台の芸術と舞台の職人芸

第2章ではシステムの代名詞である「役を生きる芸術」について語られる。

・第1項
・翻訳では役を生きる芸術だが、ロシア語は переживание という言葉が使われている。
これは追体験とも訳される言葉で、役になりきる芸術ではない。

:36p 後ろから4行目
  さあ、本当の創造状態の瞬間を、君がどのように感じたのか私たちに話してくれないか。
  「何もわからないし、覚えてもいません」
: 37p 前から2行目
  なんだって⁈ 君は何か恐ろしいものを探すなかの自身の内面の全力投球を覚えていないのか? 君はどのように唇を噛み、涙をかろうじてこらえていたのか覚えていないのか?
         ・この部分は翻訳をし直しました。比べて確認してみてください。

・無意識による行動について
   スタニスラフスキーは1/10の意識と9/10の無意識と語っていました。つまり大部分は無意識の領域にあり、それを作り出すことはできない。そうではなく、残りのわずかな意識の部分を刺激することで無意識に作用させること。それが彼の主張です。そして、彼が繰り返す「自然」という表現は、「自然状態」、自然のありのままに無意識に任せることを主に意味しています。

・37p翻訳で潜在意識、無意識と訳されているものはどちらも подсознание が元になっている言葉です。説明がないと別のものに読む可能性があります。
  また、37p後ろから5行目にある「ひらめき」という言葉も39p7行目ではインスピレーションと訳されているなど一貫性がありません。

:38p10行目
   <俳優の意識的な心理操作術を通じた、自然の潜在意識の創造>(意識を通して潜在意識意識へ、意志を通じて意志で操作できないものへ)

:39p4行目
   しかし、私たちの規則正しい有機的な生活を壊そうとするなら、つまり舞台上で正しい創造を中断するのなら、その瞬間にデリケートな潜在意識は強制されることに驚き、再びその奥深い隠れ場所に身を隠してしまう。


・第2項

41p2行目
  感じがつかめないの部分は、感じられないとそのまま訳すべきでは。

41p後ろから6行目
   まさにこのような舞台上の俳優の完全な意識的な状態が、本物の内面の真実の雰囲気において、何にも増して感情を呼び覚まし、短い間またはより継続して潜在意識の働きを生き生きとさせるためにも、インスピレーションを高揚させるためにも、最高に有効な土壌なのである。

42p2行目
   そのため俳優はただ内面で役を生きて体験するだけではなく、外面的に生きた内容を具現化しなければならない。

   ・具象化は具現化の方がわかりやすいのではないか

43p後ろから5行目と44p10行目
  直感による演技と訳されているが、インスピレーションと区別するために本能とした。

・3項
形で示す芸術 представления 
表現の芸術とも訳せるだろうか。
スタニスラフスキーは生きる芸術(追体験の芸術)を第一としているが
こちらも否定していないのを注意してほしい。

2つの違いは、本番、つまり舞台上の状態の違いである。
稽古のときに役を生き、それを公演のたびに再現する

47p後ろから3行目
   惰性とされている部分は、素直に習慣によるものと訳した方が良いと思う。

・4項
52p6行目 誤訳
 本物の芸術がどこで始まり、どこで終わってしまうのか、もっと深く探求し、理解するよう努力しなさい。

この項では、生きる芸術、形で示す芸術に続いて、職人芸が語られる。
スタニスラフスキーはこれを芸術とは認めていない。

53p3行目 微妙な訳
 その外面に生じた結果を真似することくらいしかできない。

56p~57p
 ・俳優の情動 とあるのは、感情を捻り出すための俳優技法である。
顔を真っ赤にするために力を入れたり、息遣いを荒くするといった方法で無理やりに
身体に働きかけ、


・5項

59p後ろから6行目 
 現実には→実際には、
 こうしないと別の意味に取られてしまう。 


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