2009年9月14日月曜日

補助金申請

論文は遅々として進まないのに
補助金を貰うための申請書は1時間もかからずに完成した。

このスピードがなぜ論文にもたらされないのだろうか。
30時間かかっても一字もかけないことすらあるのに。

それでも、補助金がほぼ通ったのでとりあえず良しとしよう。
スタニスラフスキーの演出行程は残り第3幕を訳せば完成。

さらに論じなければならないのだけど、それを2週間以内でやるのかと思うと
もう睡眠時間は無いものと覚悟した。


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これまで博士課程において、博士論文の完成にむけたチェーホフ作品の研究を行ってきた。修士課程では彼の作品分析を中心とした研究を行い、特に彼の描き出した家族に注目しチェーホフが家族という題材をいかに描き、そこから何を伝えようとしているのかについて論じた。その研究は今でも続いているが、博士課程からは研究範囲を広げ、彼の演劇作品も加えて研究対象とし、博士論文の執筆のために特に彼の最後の作品となった『桜の園』に関する研究を行っている。
戯曲には、読まれるものという側面と、演じられるものという2つの側面が存在している。これまで自らが行ってきた研究は読まれるものという部分に重点が置かれていたが、現在の研究では実際に上演された舞台作品に対象を移して研究を行っている。その演劇研究のなかで、博士課程一年目では埼玉県川口に拠点を置く劇団キンダースペース舞台作品の創作に関わることもできた。今後、自らの研究を舞台という現場にも活かしていきたいと同時に、チェーホフ作品を通した演劇そのものに対する研究も行っていきたいと考えている。
昨年度はロシアに1年間留学し、モスクワにあるロシア人文大学で研究活動を行ってきた。特に現地でチェーホフ作品がいかに上演されているのかを体感できたのは大きな収穫となった。ソ連崩壊以降、ロシアの演劇界にも大きな変化が生じ、そしてその変化は現在でも続いている。しかし、既に初演から100年が経過したチェーホフの作品が、今でも多くの劇場で上演され続けているのには、現在のロシアの演劇界に古典主義という傾向があるとはいえ大きな意味を持っていることだと考えられる。2004年にはチェーホフ没後100年という記念すべき年だったということもあり、様々な劇場で新しい演出のチェーホフ劇が上演された。そのどれもがこれまで上演された同じ作品を扱いながら、それぞれの独自性を兼ね備えた作品となっていた。演劇作品が時代と共に変化し、その状況を受容したうえで新たな側面を見せてくれることが、演劇の持つ一つの魅力であるだろう。『桜の園』の研究を通じ、そうした時代を受け入れる魅力を論じていきたい。
帰国後は留学中に収集した資料をもとに、ロシアにおいてチェーホフの死後いかに彼の作品が上演されてきたのかを調査している。また日本における『桜の園』を中心としたチェーホフ作品の上演についても、演劇博物館に保管された当時の資料を用いて研究を行った。その成果は学会誌に投稿予定である。他に、1910年代のイギリスでは、モスクワ芸術座の影響を受けていない『桜の園』が上演されていた。そのどれもが成功したわけではなかったが、モスクワ芸術座やその影響を受けた舞台と比べると、観客が受けた印象は異なったものになっている。それはまさにチェーホフが問題にした喜劇という問題と大きく関連している。その点についてもイギリスやアメリカの先行研究を参考にしつつ研究を行っている。
今後は博士論文の核となる1904年の上演がどのような上演だったのか、その点をスタニスラフスキーの演出行程の分析、当時の劇評、役者たちの記録などを通して、作者チェーホフがなぜモスクワ芸術座の『桜の園』に納得がいかなかったのかを明らかにしていきたい。チェーホフの書いた戯曲を、演出家のスタニスラフスキーがいかに読み取ったのか、その2つを比べることで、初演の『桜の園』がどのように形成されたのかを博士論文の核として論文を完成させる予定である。

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