2016年1月29日金曜日

川島健『演出家の誕生』読書メモ

新書タイプなので移動中に読み終わるだろうと読み始めたがいまだに読み終わらない。
素晴らしい視点も多く、勉強になる本なのだが問題点も多いので
つっこまざるをえないので、するすると読めないのである。

ひとまず前半の6章まで感じたことをメモ。

まず一番の問題が題名である
『演出家の誕生』とあるのだが、読み進めていくと
演出家ではなく劇作家と役者についての叙述がほとんであることがわかる。

そして大半が、作品分析を通した、作品が上演された時代背景を説明したものになっている。
そこにどう演出家が関係したのか、どんな演出家が居たのかということが
ほとんどと言っていいほど書かれていない。

クレイグとスタニスラフスキーが例外だが、その紹介にも疑問点が多い。
(この点については後程)

演劇の近代とその変遷という副題が付いているが
こちらの方が題名にはふさわしい。
もっと正確に言えば 近代における劇作術の変遷とその社会背景 という本に近い。

まず前書きで演出家と作者の対決ということで始まるのだが
6章までを見る限り、ほぼ作者についての記述である。

個々の章での指摘などは面白く、勉強になる部分も多いが
あくまでも演出家と題した本で、この内容では・・・と思わざるをえない。


さて、本書はチェーホフで始まる。
だが、チェーホフの作劇術についての話であり演出家との話がない。

彼こそ演出家に理解されなかった作者の代表であり、
その点を期待して読み進めるが・・・・

始まるのは近代という時代で主人公たちが普通の人間になったという
チェーホフの一般的な評価について説明だけである。

チェーホフが戯曲で多用した、「間」というものに対する言及もない。
演出を語るうえで欠かせないと思うのだが・・・


そして、次がスタニスラフスキーの章となるのだが、
ここで取り上げられるのは、演出家スタニスラフスキーなのかと思いきや
システムの作成者としてのスタニスラフスキーである。

つまり俳優教育者としてのスタニスラフスキーであって演出家ではない。

そのため、アンサンブルというモスクワ芸術座の代名詞や
はじめにで取り上げるとしていた劇作家と演出家の対立について
最大のサンプルであるチェーホフとスタニスラフスキーについて触れることもなく
スタニスラフスキーが演出したから成功したという歴史的事実にのみ触れられ
それをシステムと結びつけるというかなりの論理的な飛躍が行われている。

もちろん、システムを演出方法としてとらえなおすという視点を持つのは面白い試みだとは思うが
意図的にそうしているのではなく、勉強不足のために
演出方法としてシステムがチェーホフ作品に用いられたかのような記述になっている。

これは誤りであって、事実誤認も甚だしい。
この誤認が後々まで引き継がれるため、
この書籍を元に演出史を学ぶのが危険となっている。

他にも、スタニスラフスキーは『かもめ』以降、役者業から徐々に足を洗い
演出家業に専念するようになったという記述もあるが、
この点も事実とは異なっている。

むしろ演出家から離れて役者を育成しようとして、スタジオを作り
システムを構築していったのであって
そこから優秀な演出家であるワフタンゴフが登場するのである。

また、演出家を語るうえで、自分自身を作者とすら呼んだメイエルホリドに関する章がない。
 マイニンゲン一座についてもかたられていないので、選択の範囲がかなり狭いことは
わかるのだが・・・
演出家の誕生が前書き、しかも劇作家の言葉しか示されないのだ。


続くクレイグについても、スタニスラフスキーと共同で演出した
ハムレットにたいする言及もないまま、超人形の話へと移る。
そして彼の演出方法の特徴について、素晴らしいとは書かれているが
ほぼ触れられないまま章は終わってしまう。

ただ、前半で最も面白いのが照明の章とこのクレイグの部分で
マーラーやワーグナーについての部分など非常に示唆に富んでいる。

皮肉なことではあるのだが、この書では演劇以外についての言及の部分の方が
面白い視点が提示されている。


さて、さらに読み進めていくと、時代は突然にさかのぼり
チェーホフ以前のイプセンに目が向けられる。

しかし、その時代が遡った理由は、演出家とはあまり関係がないまま
イプセンの作品に描かれる女性のイメージについての分析が始まる。
この分析そのものは非常に面白く読みごたえがあるのだが
この章が本の中でいったいどういう意味を持つのかが分からない。

せめてイプセンの作品を演出家がどう扱ったのかについての言及はあってしかるべきでは
ないのだろうか。
イプセンは演出家とどう付き合ったのだろうか?
その辺りを知りたいが、答えてはくれない。
そして、ゾラにまた遡る。あまりにトピックがバラバラな印象を受けてしまう。


他にも大きな問題として、根拠が明示されない主張が見受けられる点。

例えば、イプセンの章には
 ロンドンではマチネ公演が始まり、女性の客が増えることになった

という当時の社会の変遷に関する非常に鋭い指摘があるのだが、
一切論証がなされていない。
自身で統計結果などを分析したのでないならば、新書という形式とはいえ
研究者ならば、それを証明する出典を示すべきではないか。

のちほどの注で文献が上がっているが、これと同じなのだとしたら
編集者のミスであり、そうした点検が杜撰であったと言わざるを得ない。

前書きでは「演出家という観点から演劇を考えること」に目的があるとしながら
後書きでは「演出家という職能が生まれてからの演劇の展開を論じてきました」
となってしまっているように、どうにもスタートとゴール、その道のりが
曲がりくねっていて、それゆえに中々ページをくる手が進まない。

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