2008年6月20日金曜日

2つのモスクワ芸術座における『桜の園』

 2008年の現在、モスクワにはモスクワ芸術座と呼ばれる劇場が2つある。新しいMXATと古いMXTである。チェーホフの名前を冠したものが最初に作られた劇場で、ゴーリキーの名前を冠した方は1896年に新館として建設された劇場をもとにして独立した。同じ名前を付けられているが、ゴーリキーのMXATは芸術座の体質に反発して分裂した劇場のため、もともとは対立した関係にあった(現在ではそうした関係にはない)。このどちらのモスクワ芸術座のレパートリー[1]にも、2007年~2008年のシーズン『桜の園』が含まれている。(ここからはチェーホフのものをMXT、ゴーリキーのものをMXATとして区別する)
 2つのモスクワ芸術座は、共通してラネーフスカヤを中心に舞台を構成していた。その最も分かりやすい点が、ラネーフスカヤのキャスティングである。MXTでは、舞台女優ではなく、映画俳優であるリトヴィノワ[2]が起用され、MXATではソ連時代を代表する女優であり、現在は総合監督も務めているドローニナ[3]がラネーフスカヤを演じていた。実際観劇の最中にも、観客の大部分が『桜の園』よりも、ラネーフスカヤを演じる女優を見に来たという印象を劇場で受けた。それはラネーフスカヤの見せ場が終わると、客席から拍手が送られていたことから分かる。
 まずはこの2つのモスクワ芸術座の『桜の園』について比較しながら分析していきたい。その理由は、同じ名前を持つからという陳腐な思いつきからではない。MXTの『桜の園』で販売されていたパンフレットには、歴代のラネーフスカヤが最初の部分に掲載されているのだが、そこにはラネーフスカヤを演じる女優としてドローニナの写真と記事が掲載されているのである[4]。これは、演出家のシャピーロもドローニナの『桜の園』に対して、何らかの意識を抱いていると考えられる。
 ドローニナがラネーフスカヤを演じるMXATの『桜の園』は、一言で言ってしまえば社会主義リアリズムによる舞台である。それゆえ1904年のスタニスラフスキー演出を踏襲している。舞台は細部までセットによって再現され、ラネーフスカヤの子供部屋や屋敷の外の様子が、現実の風景のように作り込まれていた。脚本に対する脚色もほとんど無く、特徴として挙げられるのは、本棚を開けるとオルゴールになっていたという部分や、ガーエフとラネーフスカヤが途中で歌を歌う場面が挿入されていた点だが、そうした部分に何かを喚起させるような意味合いは含まれていなかった。
(MXATの舞台:ソファーや屋敷の壁など、細部まで再現されている)
 また衣装についても、当時の服が再現されており、そうした目に見える部分で代わった点は存在していなかった。シャルロッタやドゥニャーシャを巡る三角関係も、台本に忠実に演技され、脚色や変化された部分は無かった。
 唯一、他の舞台と異なっていたのは、第2幕のアーニャのトロフィーモフの話にする態度である。他の舞台でのアーニャはトロフィーモフの話を喜んで聞くのだが、この舞台では最初アーニャはトロフィーモフの話を聞くのを耳をふさいで拒むという演出がなされていた。
(アーニャとトロフィーモフ)
一方のMXTの『桜の園』の舞台背景は、まさに対照的であった。幕が開くと、そこには一切の物が置かれていないのである。何もない空間で役者たちが演技を行い、背景として登場したのは100歳になる本棚だけであった。
また、この幕が開くタイミングも象徴的に用いられていた。『桜の園』は第1幕ロパーヒンとドゥニャーシャの場面で始まるが、彼らが演技を始めても幕は上がらず、幕の前で演技を行っていた。その後、エピホードフが舞台の下から通じる穴から現れるが、それでも幕は上がらない。ようやく幕が上がるのは、ラネーフスカヤたちが屋敷に到着する場面からである。こうした演出は、まさにこの舞台がラネーフスカヤを中心にしたものだと表明しているように思われた。それは最後のフィールスの場面でも繰り返されている。ラネーフスカヤとガーエフが去った時点で、幕は下ろされ、フィールスは幕の間から登場して去っていく。ラネーフスカヤの到着と出発が、幕の開閉とつながっていることは、彼女の存在が幕を開け、そして閉じることを意味している。
 パンフレットにおいてもラネーフスカヤに注目がなされるように意図的な配置がなされていたが、そうした傾向は劇場の広告にも現れている。右の写真は劇場チケット売り場の壁面に掛けられている宣伝用の看板である。ラネーフスカヤ役のリトヴィノワが肩を露わにした写真が使われている。これ以外の配布用のチラシにも、ラネーフスカヤの舞台写真が用いられ、舞台の中心が彼女であることを示していた。
 ではリトヴィノワはラネーフスカヤを、どのように演じ、そして演出されていたのであろうか。まず彼女の衣装・メイクで特徴的なのが、長い毛皮のマフラーと生地の薄いドレスである。彼女の服装は幕ごとに変わるのだが、このマフラーとドレスという装いは変わらない。そして、指輪やネックレス、ブレスレットなどの装飾品を必ず身につけている。こうした豪華なラネーフスカヤに対し、彼女の娘であるアーニャとワーリャが質素な格好をしていることで、より彼女の散財癖が強調されていた。
 また、ブロンドの巻き髪に真っ赤なルージュ、白い肌を露出したドレス、長いシガレットホルダーでタバコを吸う姿、そして何よりもリトヴィノワ自身がセクシーな女性であることに観客は注目してしまう。James N. Loehlinは彼女のこうした姿を、50年代の映画スターの典型だと指摘している[5]。ラネーフスカヤと言えば、ロシアの没落していく貴族の典型として捉えられてきたが、リトヴィノワの演じるラネーフスカヤは、そうしたこれまでのイメージとは異なる存在として演出がなされていたと言えるであろう。
 そして、こうした外面的な違いだけでなく、彼女の演技もこれまでのラネーフスカヤのイメージを覆すものであった。彼女の演じるラネーフスカヤは、台詞に抑揚を付けずに喋り、演技も大げさなものはなく、とても物静かな女性として演出がなされていた。決して叫んだり、走ったりといった激しい演技をすることはなかった。家に帰ってきて感動する場面でも、第3幕にロパーヒンによって屋敷を失ったことを告げられた場面でも、彼女はこうした姿勢を崩さず、静かに感動し、静かに涙を流す演技をしていた。しかし、決して暗い女性としてではなく、シックで大人な女性として演じられていた。Loehlinも指摘しているが[6]、こうした女性としても魅力あふれる彼女が、トロフィーモフに恋について諭す場面は、よりコミカルに、そしてより印象的になっていた。
 こうした物静かなラネーフスカヤに対して、セルゲイ・ドレイデン演じるガーエフは、ロパーヒンに対する態度や、演説を始める場面において感情を爆発させる演技が数多くあり、非常に対照的に演出がなされていた。ドレイデンはこの劇場の役者ではなく、ベテルブルクで活動しており、この『桜の園』以外には参加していない。
 また、第2幕には、舞台の奥に三輪車が置かれているのだが、この三輪車で走り回るなど、静のラネーフスカヤに対して、動のガーエフという位置づけで演出が行われていたと感じた。そして、この三輪車と合わせて、心配したフィールスに追い回されたり、コートを着せられたりする場面によって、彼が子供のような存在であることが示されていた。この子供のような存在として描かれていたのはガーエフだけでなく、トロフィーモフも同じように描かれていた。第3幕には、ラネーフスカヤに恋について説かれるのだが、それ以外にも第2幕でアーニャと2人きりになった彼は、突然アーニャの膝に頭を乗せ、膝枕をしてもらうのである。こうした子供のようなガーエフとトロフィーモフが、アダルトな雰囲気のラネーフスカヤと向き合うと余計にその幼さが強調されて見えた。
 この『桜の園』では、第2幕と3幕の間にアントラクトが入るのだが、その間に舞台上には小規模のオーケストラが準備を始める。第3幕のパーティの音楽隊を実際に舞台上に登場させているのである。この演出によりロパーヒンが楽隊に注文を命じる場面が強調され、彼は指揮者のようにオーケストラを前に演奏を命じ、そしてラネーフスカヤになぜ自分の言う通りにしなかったのかと語りかけて去っていく。同時にオーケストラも去っていくと、この時点で突然に第4幕に切り替わり、オーケストラの人たちが見送りの村人たちに変化するという技巧がなされていた。その後、オーケストラの椅子や楽譜立てを片付ける行為が、ラネーフスカヤたちの荷造りとして捉えられるように演出されてもいた。
 脚本の改変については、いくつかの場面がカットされていた。削られたのは第1幕の最後のトロフィーモフの台詞、第3幕の最後にアーニャがラネーフスカヤを慰める場面の2つである。加えて、『桜の園』の中で重要な台詞である「さようなら古い生活、こんにちは新しい生活」は舞台の外から聞こえるという演出であった。それゆえ、こうした改変部分から、シャピーロはこの2人を劇の中心とは見なしてはおらず、彼がこの演出で表現したい部分とは2人の場面は異なっていると思われた。
 ではいったいシャピーロは何を表現したかったのであろうか。その点について考えてみたい。彼が注目を促しているのは、明らかにリトヴィノワ演じるラネーフスカヤである。その彼女が、マリリン・モンローのようなアメリカの50年代の映画女優をイメージさせる服装や化粧をして登場する。これによって、現状のロシアの状況をシャピーロは表しているのではないだろうか。この『桜の園』が初演を迎えたのは2004年だが、その当時には既にアメリカの商品があふれ、モスクワはアメリカ化していた。通りにあるキオスクでは、飲み物はコカ・コーラやペプシが売られ、マクドナルドは街中の至る所で見かけられた。そして、こうした資本による静かな浸食は、食べ物だけではなく大衆娯楽にも及んでいた。アメリカのハリウッドの映画は直ぐさまロシア語に翻訳され、街中の映画館で上演されている。そう考えれば、映画俳優だったリトヴィノワを起用した点も、深い意味を持っているように思われる。彼がこうしたロシアの状況を、歓迎しているのか、憂いを感じているのかは分からない。恐らくどちらでもないだろう。だが、そうしたロシアの社会状況を反映した舞台として『桜の園』を上演したのではないかと私は感じた。
 一方のモスクワ芸術座では、ドローニナが社会主義リアリズムの『桜の園』を公演し、もう一方ではシャピーロの大胆な演出で『桜の園』が上演されている。こうした対極の舞台が、芸術座の名を持つ2つの劇場で上演されていることは、『桜の園』の多様性を示しているように思われる。
[1] ロシアでは、一つの作品を短期間で公演する日本と違い、1シーズン(秋から春)に数多くの作品を日替わりで毎日上演される。モスクワ芸術座のような大きな劇場ではレパートリーに含まれる作品数も多く、『桜の園』は月に一度の公演であった。
[2] Р. М. Литвинова ロシアでは主に映画を中心に女優として活動。映画『国境』でロシア国家勲章受章。『桜の園』のラネーフスカヤが、劇場での初舞台となった。MXTでは現在『ソーネチカ』(現代作家ウリツカヤの作品)などに参加している。
[3] Т. В. Доронина 1986年ソ連時代を代表する女優。MXTから分裂した際の代表でもある。現在も多くの作品で女優として活躍し、演出家も務めている。現在はMXATの総監督である。
[4] 1904年のクニッペルから、1958年のタラソワ、1988年のドローニナ、1989年のテニャコワ、のモスクワ芸術座でラネーフスカヤを演じた4人の女優が掲載されている。
[5] James N. Loehlin. The cherry Orchard : Plays in production. Cambridge University Press. 2006. p. 212.
[6] Ibid., pp. 212-213.


博士論文の0.1%を載せてみました。
公演の歴史の中では、最後になる部分の予定。

現在は1935年のシーモフスタジオの『桜の園』
1976年のエーフロス(タガンカ)
について研究中です。

1 件のコメント:

風鈴 さんのコメント...

シーモフじゃなくてシーモノフスタジオですね。
シーモフはモスクワ芸術座の美術さんで
ごっちゃになっていました。