2008年8月20日水曜日

ジョルジュ・ピトエフ

最近の研究はこのジョルジュ・ピトエフについてがメインです。

ところが、こっちで資料をいくら探しても見つからない。
図書館の蔵書には無いので、完全に放置して
同じくフランスの演出家ジャン=ルイ・バローの方を先に調べていたのですが
先日ルームメイトが帰国した折に本屋を教えてもらい行ってみました。
ちなみにモスクワでは本を探す=本屋を探すになります。
それぞれの本屋で品揃えが全く違うので本を探すだけで、一日が終わります。

と、教えてもらった本屋に行ってウロウロしていると
なんだか派手なピンク色の本がありました。よーく見てみると、ジョルジュピトエフの劇場・・・・
なんと!しかも帯にはロシアで初のピトエフの本だと書いてある。
どうりで探しても無いはずです。やっぱりパリに亡命していたから
ロシアでは研究しようと思っても出来なかったんでしょうね。

と、ココ2日間この本を読んでいたのですが

ちなみにチェーホフ劇をフランスで初めて公演した人ということで
私は彼に注目して研究を始めました。博士論文の一部になる予定です。

フランスでフランス語によるチェーホフの桜の園が上演されたのは、
1944年と、40年経ってから。
今でこそフランスでおチェーホフ劇は上演されていますが
20世紀の初め、チェーホフはフランスで全く受け入れられていませんでした。

そんな時にチェーホフをやっていたのが、ロシアから亡命したジョルジュ・ピトエフです。
彼はアルトーやコクトーなどと交友があった人物として知られています。

1939年まで、彼はフランスで精力的に活動を続け
チェーホフの理解を深める基盤を作ったと言えるでしょう。
なぜならば、彼の舞台がイタリアで公演されたことで
イタリアではチェーホフが人気となり、ストレーレルに繋がっていくためです。
ストレーレルも彼について言及しています。

やはり、この時期にチェーホフ劇というとモスクワ芸術座とセットだったため
他の国ではチェーホフをやろうという雰囲気はありませんでした。
特にモスクワ芸術座のナチュラリズムは、当時完全に時代遅れで
彼らの評価は全て役者のレベルの高さに集中しています。

それは、ロシア国内ですらチェーホフが時代遅れという認識だったのですから当然とも言えます。
1898年かもめでセンセーションを起こしたものの、1904年の桜の園に対する批評は芳しくありません。
現在の美術史では価値の無いものとして扱われる社会主義リアリズムですが
その筆頭であったモスクワ芸術座はスターリンのお気に入りということもあり
おかしな方向に進むというより、どこにも進むことが出来ないまま時代が流れていきました。

そんななか70年代にストレーレルの伝説的な演出の(桜の園)が生まれるのですが
大戦後、チェーホフ理解の最先端はロシアではなく、フランスやイタリアにあったと言えるでしょう。
ロシアでもチェーホフを新たに理解しようという動きはありましたが
メイエルホリドは銃殺され、スタニスラフスキーも監視下に置かれ、状況は完全に詰んでいました。
それが再開されるのは1953年以降です。
その後、ロシア演劇はタガンカ劇場を中心に復活していきます。

と、話が横道にそれすぎて訳が分からなくなっていますが
ピトエフに話を戻しましょう。
彼は父親がダンチェンコと知り合いだったこともありチェーホフと会い、
また桜の園の初演を父親が病気になったために代わりに見たという経験をしています。

その後、彼はコミッサルジェフスカヤに雇われ、ペテルブルグで演出と演技を学びます。
当時のペテルブルグでは、ブロークなどの象徴主義による運動で
ナチュラリズムからの脱却がはかられていました。
メイエルホリドがガルガンチュアを上演したのもこの時期です。

つまり、彼は象徴主義の影響を受けた演出家だったわけです。
その後、彼は戦火を避けてスイスに亡命、その地で劇団を作り活動を始めます。
パリに亡命してからは、4人組の1人として活躍し、フランス演劇に大きな影響を与えました。
メイエルホリドの銃殺で耐えたと思われていた象徴主義的なチェーホフ理解は
別の演出家ピトエフによってスイス、フランスに渡っていた。
その点が私のもっとも関心がある部分です。

彼はワーニャ叔父さん、三人姉妹、かもめを1920~30年代に公演
モスクワ芸術座の演出ではない、チェーホフ劇を上演しています。
もし、この彼のチェーホフ作品の舞台がなければ、
フランスでのチェーホフ理解は始まらなかったとも言えます。
そもそも、この時期チェーホフ劇は彼しかやっていませんでした。
のちのちにジャン=ルイ・バローがチェーホフ劇を始めてチェーホフが公に認められます。
プラトーノフを初めて公演したのも、ロシアではなくフランスでした。
その後、チェーホフに対する新たな解釈はピーターブルックに受け継がれていきます。

こうした流れの基礎を作ったのは、ピトエフなのです。
と、本を読んで興奮しながら書いているので、本当にまとまりがないですが

冬に絶対にパリに行こうと思いました。

ちなみに、フランスではピトエフの研究が既に行われているので
新たに研究する気はあまりないですが、チェーホフを巡る演劇史を語る上で無視できない人物です。

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匿名 さんのコメント...

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